11月10日(火)。大阪狭山市の歴史を読む講座 3回目を開講しました。
講師は大阪狭山市教育委員会 歴史文化グループの平野淳さんです。
今回のテーマは「近世の狭山池」「近現代の狭山池」前回より時代が進みましたね。
時代は江戸時代。狭山池はどうだったのでしょうか。
テキストを読んでみると、今ではあまり馴染みのない単語が・・・。まずはその説明から。
当時の人は、狭山池の水でも色々な呼び方をして区別していたそうです。常に流れている水や、水が足りない時にもらう水、用途によって違って面白いですね。
池の維持管理や時間によって給水する責任者の池守と呼ばれる役目を田中家が担っていて、田中家文書の中には、支配者との手紙のやり取りの写しなどの情報が集積されているとの事。これを読み解いていくと、狭山の村の歴史がわかるのではないでしょうか。すごいですね。
この3回の講座で狭山池の歴史を辿ってきました。来年2016年は狭山池築造1400年。狭山池の当時の様子がどうだったか想像しながら、狭山池を見てみるのも楽しいと思います。
そして、これからの狭山池を考えてみてはいかがでしょうか。